大阪高等裁判所 平成2年(行コ)7号 判決 1992年2月07日
大阪市城東区今福東三丁目八-二五-一三〇二号
控訴人
谷崎雅弘
右訴訟代理人弁護士
筒井貞雄
東京都千代田区霞が関一丁目一番一号
被控訴人
国
右代表者法務大臣
田原隆
右指定代理人
田中素子
中村悟
近藤宏一
角佳樹
山崎龍夫
岡崎安男
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴人が当審において追加した予備的請求を棄却する。
三 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の申立て
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 (主位的請求)
(一) 被控訴人が控訴人に対し、七四二万五一六一円、及び内七四一万五二一一円に対する昭和四四年一月一日から、内九九五〇円に対する昭和四五年七月一一日から各支払済みまで年七・三パーセントの割合による金員を支払え。
(二) 控訴人と被控訴人との間で、控訴人が被承継人谷崎啓子にかかる被相続人谷崎友積の相続税につき、本税につき、本税七五万八一一五円並びにこれに対する利子税及び延滞税の納税義務を負わないことを確認する。
3 (当審において追加した予備的請求)
被控訴人は、被承継人谷崎啓子にかかる被相続人谷崎友積の未納相続税の本税七五万八一一五円並びにこれに対する利子税及び延滞税の債権につき、控訴人の固有財産に対して支払請求及び強制執行、公売等の手続をしてはならない。
4 訴訟費用は、第一、第二審を通じ被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文同旨
第二当事者の主張
当事者の主張は、次の一ないし四のとおり付加訂正するほか、原判決事実摘示第二記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決二枚目表一〇行目ないし一一行目の「谷崎津留子(以下『津留子』という。)」を谷崎都留子(但し、後記三1(一)の相続税申告の際に、『津留子』という表記を用いたため、以後の処分等において『津留子』と表示されていることがある。以下『都留子』という。)」に、一二行目、三枚目裏末行の「津留子」をいずれも「都留子」に、二枚目裏五行目の「更正」を「増額更正」に、八行目、四枚目裏九行目の「被告」をいずれも「大阪国税局長」に、四枚目裏一二行目の「当庁」を「大阪地方裁判所」に、五枚目裏九行目ないし一〇行目の「原告の請求の趣旨2」を第一(当事者の申立て)一2(二)」に各改める。
二 原判決六枚目裏八行目から八枚目表末行まで全部を次のとおり改める。
「三 被控訴人の反論
1(一) 都留子及び啓子は、昭和三八年三月一日付で、南税務署長に対し、被相続人友積にかかる相続税の申告(本件申告)をしたが、これによると、都留子の納付すべき税額は七二万五四一〇円、啓子の納付すべき税額二七〇万一四六〇円であった。(乙第一号証の一ないし八)。
都留子及び啓子が右税額につき延納申告をしたので、南税務署長は、同年一〇月三日付で、右各税額のうち都留子に対しては七〇万円について、啓子に対しては二七〇万円について延納許可をするとともに、その担保として本件土地(甲第一二号証登記簿謄本)の提供を受け、昭和三九年一月三〇日付で抵当権設定登記を経由した。
(二) しかし、南税務署長は、本件土地は啓子が単独相続したものである等の理由から、昭和三九年一二月一九日付で、都留子に対しては納付すべき税額を二六万九九六〇円とする減額更正処分を、啓子に対しては納付すべき税額を六九五万九一五〇円とする増額更正処分及び納付すべき加算税の額を二一万二八五〇円とする過少申告加算税賦課決定処分(本件各処分)を行った(乙第二号証の一・二)。
啓子は、本件各処分について不服申立てをすることなく右税額につき延納申請をしたので、南税務署長は、昭和四〇年五月一日付で、右税額のうち四〇〇万円について延納許可をするとともに、担保として本件土地の提供を受け、同年七月二三日付で抵当権設定登記を経由した。
(三) 南税務署長は、都留子及び啓子が右(一)及び(二)記載の延納にかかる相続税のうち既に納付期限の到来した分納税額を納付しなかったため、昭和四二年九月二六日付で都留子及び啓子に対する延納許可を取り消すとともに、通則法五二年の規定に基づき同年一〇月五日付で本件土地を差し押さえ(乙第六号証差押調書謄本)、同月七日その旨の登記を経由した(甲第一二号証)。
なお、南税務署長は、右(一)記載の抵当権を担保する税額については、昭和四三年一二月二三日までに完納となったため、昭和六三年六月二一日付で当該抵当権設定登記を抹消した。
(四) 右相続人についての啓子による納付並びに南税務署長及び大阪国税局長による処分に基づく充当の状況は、「別表 谷崎啓子の納付状況表」及び「別紙 滞納整理状況一覧表」のとおりであり、以下の経緯により、啓子の滞納税額は本税七五万九一一五円、利子税一七万〇八〇〇円となり、啓子の処分可能な財産は本件土地のみとなった。
(1) 南税務署長は、啓子が延納にかかる相続税のうち既に納付期限の到来した分納税額等を納付しなかったため、昭和四二年七月六日付で啓子所有の大阪市南区難波新地四番町三三番三二の土地及び同所所在の店舗を差し押さえ、同月八日その旨の登記を経由した(乙第七号証の一・二登記簿謄本、第八号証)。
(2) 南税務署長は、啓子が前記(三)のとおり延納許可を取り消された税額等を納付しなかったため、同年一二月二日付で右(1)の土地建物を参加差押えし、同月六日その旨の登記を経由した(乙第七号証の一・二、第九号証)。
(3) 大阪国税局長は、同月一八日付で南税務署長より啓子の滞納国税につき徴収の引継ぎを受けた。
大阪国税局長は、啓子が昭和四二年分申告所得税を納付しなかったため、昭和四三年二月二日付で前記(1)記載の土地建物を参加差押えし、同月八日その旨の登記を経由した(乙第七号証の一・二、第一〇号証)。
(4) 大阪国税局徴収職員は、啓子が延納許可を取り消された税額等を納付しなかったため、同月一三日付で啓子が所有の動産を差し押さえたが、右差押えに優先する大阪地方裁判所執行官の差押えが存在したため、大阪国税局長は同日付で右執行官に交付要求を行い、同年六月一八日八万六〇三〇円の配当を受けてこれを啓子の滞納国税(昭和四二年分申告所得税)に充当した(乙第一一ないし第一三号証)。
(5) 大阪国税局徴収職員は、啓子が延納許可を取り消された税額等を納付しなかったため、昭和四三年六月四日付で啓子の当座預金五五五円及び出資金一万円を差し押さえ、同月一〇日右当座預金五五五円を取り立てこれを啓子の滞納国税(昭和四二年分申告所得税)に充当した。また、同職員は、昭和四五年七月三日右出資金のうち九九五〇円を取り立て、同月一〇日これを啓子の滞納国税(相続税延納許可取消分)に充当した(乙第一四ないし第一七証)。
(6) 大阪国税局長は、昭和四三年一二月九日、前記(1)記載の土地建物につき公売のため入札を実施し、同月一六日一三五〇万円でこれを売却して五三〇万三四一〇円の配当を受け、同月二三日これを滞納処分費一万二〇〇〇円及び啓子の滞納国税に充当した(乙第一八、第一九号証、第二〇号証の一・二)。
(五) 啓子及びその権利義務の承継人である控訴人は、右本税七五万八一一五円及び利子税一七万〇八〇〇円を納付しなかったので、大阪国税局長は、昭和六一年三月一〇日付で控訴人に本件通知書を送付した。
2(一) 申告納税方式をとる租税にあたっては、課税の基礎となる事実等を確認したうえでこれを課税庁に通知する納税者の申告によって納付すべき税額が確定し、右申告が過大であるときは、法定の期間内に通則法二三条所定の更正の請求をすることによって当初の申告の是正を求めることができるにとどまる。
したがって、適法な更正の請求が行われていない本件にあっては、原則として本件各処分によって額税が確定しているものであり、本件各処分が無効であると主張して過誤納金還付請求をするためには、<1>申告又は課税処分に瑕疵が存在すること、<2>その瑕疵が明白かつ重大であること、<3>通則法等に定める方法以外にその是正を許さないならば、納税者の利益を著しく害すると認められる特段の事情のあることが必要である。
(二) まず、<1>についてみると、控訴人は、本件土地は上野の所有であり、したがって本来友積の遺産の範囲に入らないのに、都留子及び啓子は本件土地を相続したものと誤認した旨主張するが、その援用する甲第六号証(別件訴訟の第一審判決)によって立証されているのは右判決が本件土地を上野の所有であると認定した事実のみであり、しかも、右判決は、啓子が口頭弁論期日に出頭しなかったため本件土地の登記名義が友積名義となった経緯等の事実関係について十分な審理が行われないままになされたものであるから、これのみでは本件土地の真の所有者が上野であり本件各処分に瑕疵が存在することを立証したことにはならないというべきである。
<2>についてみると、瑕疵が明白であるかどうかは、処分の外形上、客観的に誤認が一見看取しうるものであるかどうかにより決すべきものとされているところ、仮に本件土地の真の所有者は上野であり、啓子らが本件土地の所有権について誤認した結果本件相続税の申告を行ったものであるとしても、右瑕疵は上野と啓子らとの間の別件訴訟によって判明したことであって、当該申告にかかる申告書の記載それ自体から外形上、客観的に過誤が一見して看取できるものでないことが明らかであるから、本件各処分に明白な瑕疵が存するとはいえない。
<3>の特段の事情の存否は、更正の請求権がある啓子自身について判断すべきところ、仮に啓子が行方不明となったために期限内の更正の請求ができなかった事実が認められるとしても、それは啓子自身の意思に基づく行動によるものであって、これをもって特段の事情とはいえない。
以上のとおり、本件各処分は有効に成立、確定しているものであり、啓子及び都留子に対する本件租税債権は確定しているから、控訴人の過誤納金還付請求権は認められないし、また、未納国税の納税義務は依然として存在しているものである。したがって、本件申告ないし本件各処分が無効であることを前提とする控訴人の本訴請求は、いずれも理由がない。」
三(当審における控訴人の主張)
1 原判決の判断の公序良俗違反
本件土地は啓子が相続した物件ではなく、同人が相続税を納付すべき物件でなかったことは甲第六号証等によって明らかであり、そのため同人が七四二万五一六一円を過誤納付していること、また、控訴人が真実には支払う必要も理由もない過誤申告の残額とされる本税七五万八一一五円と利子税、延滞税の納付催告を受けていることも明らかである。普通の日本国民ないし市民ならば、本来原因を欠いていて受け取ってはならない物を間違って受け取った場合必ず返すものであり、返さないなどというのは世間に顔向けできない極めて恥ずべきことであることはいうまでもない。
原判決においては、このような自明のことがいとも簡単に無視されているのであり、おそらく意識の表層の反射的・自動的な思考によってこの点の重要性を認識する機会を意識的ないし無意識的に排除した極めて皮相的・浅薄な思考作用の結果ではないかと推測されるが、この判断は、普通の国民なら絶対にしないような行動を是認する判断であり、基本的な国民道徳に違反し、国民の道徳水準を下げ、国や法に対する嫌悪感を助長するものであり、公序良俗に違反している。
2 本件未納相続税の租税債権の実質的・実体的不存在ないし時効消滅、権利失効の原則の適用
(一) 本件未納相続税(本税七五万八一一五円とその利子税・延滞税)の租税債権は、時効により消滅している。
被控訴人は、右租税債権の時効中断事由として本件土地の差押えを主張するが、希有の事例である本件においては、被控訴人の控訴人に対する本件未納相続税の租税債権は実質的・実体的に存在せず、仮に形式的な理由でかって存在していたとしても、例えば時効により消滅しており、被控訴人主張の時効中断事由としての本件土地差押えも控訴人に対しては無効であり、時効中断の効力はないか、除斥期間にかかってその効力は消滅している。
また、右差押えは、差押調書謄本(乙第六号証)によれば、滞納者として「丸忠株式会社」と記載されており、同社に対する差押えであるから、同社に対する時効中断事由にしかならない。仮にしからずとするも、右差押調書謄本には差押えが「取消」された旨記載されており、この取消しによって差押えの時効中断の効力は消滅している(そうすると、この「取消」されていない本税は、一五万一八〇〇円と三万四九一〇円の合計一八万六七一〇円であると思われる。)。
更に、右差押調書謄本全体に大きな×印がされており、これは全差押えの効力失効ないし放棄を意味しているものと思われ、そのため被控訴人も右調書の日付(昭和四二年一〇月五日付)から二〇年間も差押物件たる本件土地について何の手続もせず放置していたものである。
なお、このような経緯により二〇年間も放置していたという事実は、本件未納の相続税七五万八一一五円を控訴人に請求することが権利の濫用等になるとの主張を根拠づける理由の1つにもなるものである。
仮にしからずとするも、二〇年間も放置していたことは明らかに被控訴人の重大な過失であり、しかも、控訴人には何ら責められるべき点、過失はないのであるから、少なくとも右本税七五万八一一五円に対する利息ないし延滞税について控訴人の固有財産に請求することは、公序良俗に反しかつ権利の濫用である。
(二) 更に、前記のとおり前記差押調書謄本には権利放棄又は失効を意味する大きな×印があり、この権利放棄又は失効のため被控訴人は約二〇年間差押物件たる本件土地に対して全く何の手続もしなかったのであるから、本件はまさに権利失効の原則が適用されるべき事案である。
被控訴人は、大阪国税局徴収職員が啓子の死亡前である昭和五八年八月一八日控訴人と面接し、啓子の滞納国税が残っている旨説明して第三者納付をしょうようし、啓子死亡後の昭和六一年二月八日には控訴人及び筒井弁護士(控訴人代理人)と面接し、更正の請求期間を経過しているため本件相続税の減額はできないこと、相続放棄又は限定承認の申述を行わない限り啓子の滞納国税を承継することとなることを説明したと主張するが、そのような事実はない。特に、控訴人は、筒井弁護士には同年三月一〇日過ぎに本件通知書(甲第一号証)が来た後、三月か四月の初めに本件税金のことを依頼し、四月になって南税務署や国税局に一緒に行ってもらったのであって、それ以前には何も依頼していないのである。すなわち、同弁護士に依頼したときには三か月の熟慮期間はだいぶ経過した後であった。
(三) 被控訴人が本件土地を公売できない理由として述べるところはすべて争う。
3 予備的請求について
本件は、昭和三〇年代前半に手違いで本件土地が啓子名義になっていたこと、昭和四六年頃、判決により、本件土地が手違いで間違って啓子名義になっていたと判断され、それが確定したこと、昭和四二年頃、啓子が突然行方不明となり、その後もずっと行方不明であったこと、啓子が行方不明の当時、控訴人(昭和二七年八月一〇日生)は未だ責任ある年齢に達しておらず、本件税金問題について知ることのできる状態になく、また法的に知ることが要求される状態にもなかったこと、控訴人には全く責任のない状態で、過誤申告がなされ、その更正決定申立期間が経過してしまっていたことなどにより、希有の事件である。
本件未納の相続税等を控訴人から徴収することは、明らかに正義を旨とする法の目的に違反し、税法を超えて存在する公序良俗にも反し、実質的には犯罪と変わらないし、また権利の濫用にも該当するから、控訴人は、この希有の事件に対処するため、前記予備的請求を追加するものである。
四(当審における控訴人の主張に対する被控訴人の反論)
1 原判決の判断について
原判決の判断は正当であって、本件控訴は理由がない。
2 本件未納相続税の租税債権の時効の中断、権利失効の原則の不適用
(一) 時効の中断
(1) 南税務署長は、前記のとおり、本件未納相続税を徴収するため、本件土地に対して昭和四〇年五月一日付で抵当権の設定を受け(同年七月二三日設定登記)、また、昭和四二年一〇月五日付で担保物処分の差押えを行っている(同月七日登記)ことから、右租税債権については通則法七二条三項、民法一四七条二号に基づき、右差押えにより時効が中断しているものである。そして、右差押えが取り消されたことはない。
(2) 仮に本件土地の真の所有者が上野であることが立証されたとしても、上野は本件土地の登記名義が友積にあることを承知しながらこれを放置したものであり、南税務署長は右登記名義及び友積から啓子に相続を原因として移転された登記名義を信用して、啓子に対する滞納処分として右登記にかかる本件土地を差し押さえたのであって、南税務署長は民法九四条二項(類推適用)の第三者に当たるというべきであるから、結局、本件土地に対する滞納処分としての本件差押えの有効性に変わりはない。
(3) 本件差押調書謄本(乙第六号証)は、そもそも右差押えの登記がなされた後に処分庁に回送されたものであって、既に処分庁の内部文書といえるものであるから、その後において担当職員が備忘のための記入をしたとしても、そのことによって既に生じている差押えの効力(国税徴収法に基づく不動産の差押えは、差押調書が滞納者又は現所有者に送達された時あるいは差押登記の時に効力を生ずる。)に何ら影響を与えるものではない。控訴人は、本件差押調書謄本に滞納者として「丸忠株式会社」と記載されている点を問題にするが、税務署長等が延納許可取消しにかかる国税及び処分費に充てるため担保物たる不動産を滞納処分の例により処分する場合に、担保物処分時に既に不動産の所有権が第三者に移転しているときは、第三者である現所有名義人を登記義務者として差押登記の嘱託をするので、差押調書には差押時の所有名義人の表示、担保物処分の差押えである旨、滞納者及び滞納国税の表示等を記載することになっているから、右の点は何ら問題となることではない。なお、その滞納金額欄の「取消」の表示は延納税額のうち納期限未到来分について延納許可を取り消したことを、「<不>」の表示は既に納期限が到来していて不履行であることを、「<延>」の表示は相続税延納分を意味している。本件差押調書謄本全体に付されている×印は後日誤って付されたものであり、すぐに誤りを発見したため「調書<生>」を付したものである。
(二) 本件土地について現在まで公売ができなかった事情
(1) 本件土地には昭和三五年一〇月五日付で関西製綱有限会社を権利者とする所有権移転請求権仮登記がなされているところ、旧国税徴収法二三条一項により、国税の法定納期限等(昭和三八年三月二日)以前になされた右仮登記にかかる関西製綱の権利が本件差押えに優先することになるため、本件土地を公売することは事実上困難であった(仮に右仮登記は既に失効していたとしても、右仮登記が抹消されずに存在する以上、公売が事実上困難であることに変わりはない。このような場合に公売を事実上可能ならしめるためには、右仮登記の抹消を求めて提訴する必要があるところ、被控訴人は右失効の事実を知らず、提訴に必要な資料等も入手していなかったのである。)。
(2) 関西製綱は啓子から本件土地を買い受けた丸忠らを相手に所有権移転登記手続請求の訴訟を提起し、以後本件土地の所有関係が複雑になったため、公売は事実上困難であった。
(3) 右関西製綱の仮登記は昭和五八年七月二七日に抹消されたが、その時点においては本件土地の処分見込額は滞納税額を大幅に上回っており、実際上公売のためには分筆が必要であるところ、本件土地の権利関係が複雑で分筆等の協議が期待できなかった。
(4) 控訴人の代理人である横山良次税理士から昭和六一年四月五日、滞納国税について更正の請求を行い認められない場合は異議申立て、訴訟行うので本件土地の公売を待ってほしい旨の申出があり、異議申立てがあれば換価制限を受けることから公売を見合わせていたところ、本件訴訟が提起された。
(三) 権利失効の原則について
権利失効の原則が適用されるためには、長期間の権利不行使の要件のほかに、相手方においてその権利はもはや行使されないものと信頼すべき正当の事由を有するに至ったため、その後に行使することが信義誠実に反すると認められるような特段の事由の存在が必要である。しかし、以下のとおり本件においてはいずれの要件も存在しないから、権利失効の原則の適用はない。
(1) 南税務署長は、前記のとおり本件相続税を徴収するため本件土地に抵当権の設定を受け、差押えを行ったほか(右抵当権設定登記の抹消及び右差押えの解除はしていない。)、南税務署長及び大阪国税局長は前記(さきに訂正して引用した原判決事実摘示第二「三(被控訴人の反論)1」)のとおりの各処分を行っているのであって、長期間の権利不行使の要件も充足していないというべきである。
(2) 大阪国税局長は現在まで控訴人固有の財産に対しては何らの滞納処分も行っていないが、これは、本件のように租税債務の相続があった場合、被相続人の国税の徴収に際し徴収職員はまず相続財産を処分した後でなければ相続人の固有財産を処分しえないとされているところ(国税徴収法四八条、五一条)、本件土地の差押えによって本件租税債権を十分充足しているためである。
また、大阪国税局徴収職員は、前記(二)のとおり本件土地の公売が事実上困難であり、啓子にはほかに滞納処分可能な財産が皆無であることから、昭和四四年一月一〇日から昭和六一年一月三一日にかけて、関西製綱及び丸忠並びに丸忠から本件土地を買い受けた関西産業株式会社ほかに対し十数回にわたって第三者納付をしょうようしたが(乙第二三ないし第二七号証)、いずれも協力を得られなかった。そして、大阪国税局徴収職員は、啓子の死亡前である昭和五八年八月一八日、控訴人と面接して啓子の滞納国税が残っている旨説明して第三者納付をしょうようし、啓子死亡後の昭和六一年二月八日には、控訴人及び筒井弁護士(控訴人代理人)と面接し、更正の請求期間を経過しているため本件相続税の減額はできないこと、相続放棄又は限定承認の申述を行わない限り啓子の滞納国税を承継することとなることを説明した(乙第二一ないし第二三号証。そもそも、相談放棄の熟慮期間は、相続人が相続財産の調査を行い、承認・放棄をするために設けられた期間であるから、控訴人は、右期間内に本件租税債権も含めて啓子の相続財産・相続債務を十分調査し、その結果をみて相続放棄をするか承認するかを判断しえたというべきであり、右調査を行わなかった結果本件租税債務を承継したからといって、これを違法不当と主張するのは失当というほかない。)。したがって、控訴人は、相続放棄又は限定承認の申述をしない限り啓子の滞納国税を承継しなければならないことを十分知りながら啓子の滞納国税を承継することを選択したということができる。
本件土地の差押えをしながら現在までその公売をしていない理由は、前記(二)の通りである。
以上の各事実によれば、本件の場合、啓子及び控訴人において本件租税債権の徴収権がもはや行使されないものと信頼すべき正当の事由も、その徴収権の行使が信義誠実に反すると認められるような特段の事由も存しない。
3 予備的請求について
予備的請求は、控訴人の固有財産に対する滞納処分の禁止を求めるものと解されるところ、滞納処分は行政処分であって、その主体は本件においては通則法四三条三項により南税務署長から徴収事務の引継ぎを受けた大阪国税局長であり、被控訴人は滞納処分の主体たりえないから、本件予備的請求は理由がない(なお、大阪国税局長は、控訴人の固有財産に対して未だ滞納処分をしていないし、滞納処分の禁止という行政処分の不作為を求める訴訟は現行法上許されていないから、大阪国税局庁を被告としてこのような請求をしても不適法である。)。
4 過誤納金還付請求権の時効消滅
仮に本件各処分が無効であって過誤納金還付請求権が存在していたとしても、右請求権は時効により消滅している。
すなわち、通則法七四条により、還付金等(還付金、過誤金、過納金)の還付請求権は、その請求をできる日から五年間行使しないことによって時効により消滅するとされており、この時効により消滅については時効の援用を要せず、その利益を放棄することもできないとされている。そして、右消滅時効の起算点である「その請求をすることができる日」は、無効な申告又は賦課処分に基づく納付の場合は、その納付のあった日と解すべきであるから、右還付請求権は時効により既に消滅していることが明らかである。
第三証拠関係
証拠関係は、原審記録及び当審記録中の各書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 当裁判所も、控訴人の被控訴人に対する本件主位的請求(第一(当事者の申立て)の一2の(一)及び(二)の請求)は理由がないと判断するものであるが、その理由は、次の1ないし5のとおり付加訂正するほか、原判決の理由第一、第二項説示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決8枚目裏七行目の「啓子において相続税を過大に納付したかどうか」を「本件主体的請求」に改め、一一行目の「官署」の前に「乙第五号証、」九枚目表七行目の「啓子」の前に「内縁の妻」を各加え、九行目、同裏五行目、六行目、一〇行目、一〇枚目表六行目の「津留子」をいずれも「都留子」に改め、九枚目裏四行目の次に改行して「なお、右友積への所有権移転登記手続が友積の関与なしに、ないしはその意思に基づかずになされたことを推認させるべき特段の事情は、本件全証拠によるも認められない(むしろ、上野は、別件訴訟において、『啓子の父である友積に対しアサヒビールとの本件土地返還に伴う所有権移転登記手続などを依頼していたところ、友積はその依頼に反して自己への所有権移転登記を経由した』と主張していた。)。」を、同末行の「相続したものであること」の次に「(啓子は、昭和三九年一月一三日付で、本件土地を友積から単独で相続した旨の所有権移転登記を経由した。)」を各加える。
2 原判決一〇枚目表二行目の「行ったが」の次に「(なお、都留子に対しては、納付すべき税額を二六万九九六〇円とする減額更正処分を行った。)」を加え、一二行目の「その後」から同裏一二行目の「棄却した」までを次のとおり改める。
「啓子は、前記のとおり本件土地につき昭和三九年一月一三日付で友積から単独相続の登記を経由したうえ、昭和四一年一二月三〇日頃、楊勝美に対し本件土地(及び地上建物)を代金六〇〇〇万円で売却し(本件土地についてなされた関西製綱の昭和三五年一〇月五日付所有権移転請求権仮登記は啓子において抹消する約定)、楊勝美は更に楊金水らの設立した丸忠にこれを転売した結果、昭和四二年七月五日付で中間省略登記の形式により啓子から丸忠への所有権移転登記が経由された。こうした事態を知った上野は、昭和四六年に至り、本件土地は自己の所有であると主張して別件訴訟を提起し、啓子並びに丸忠及びこれから更に所有権移転登記等を経由している関西産業株式会社等に対し、右各所有権移転登記等の抹消登記手続を求めた。その第一審判決(大阪地方裁判所昭和五五年一二月一六日判決)は、本件土地は上野がアサヒビールに対して代物弁済によりその所有権を移転していたのを債務返済の形により自らアサヒビールより返還を受けたものであって事実は上野の所有であったと認定したが、昭和四三年以降行方不明となっていて公示送達による呼出しがなされていた啓子に対する請求は認容したものの、上野は、アサヒビールから本件土地の返還を受けた際、登記簿上その所有名義人を友積とすることを指示したか、少なくとも事後において登記名義が友積名義になっていることを容認していたものであり(上野は、関西製綱との間のロープの販売契約に関しロープの代金が支払えないときは代物弁済として友積名義の本件土地を関西製綱に移転する旨の代物弁済予約をし、昭和三三年七月三〇日頃同社に対し登記手続に必要な本件土地の権利証、友積の印鑑証明書、委任状などを交付し、友積の印鑑証明書については、その後も作成日付の新しいものを交付していた。)、友積死亡後その相続人らの承知のもとに啓子の単独相続登記を出現させたから、民法九四条二項の類推適用により、右登記を信用して本件土地が啓子の所有であると信じて買い受けた楊勝美及びその承継人である丸忠らに対しては本件土地の所有権をもって対抗しえないとして、丸忠らに対する請求をいずれも棄却した。上野は丸忠らに対して控訴、上告したが(啓子からの控訴はなく、啓子の関係では上野の勝訴判決が確定した。)、控訴棄却判決、上告棄却判決により上野の敗訴が確定した」
3 原判決一一枚目表二行目の末尾に「啓子は、行方不明であったこともあって、前記のとおり本件土地は上野の所有であったとする(したがって、友積から啓子が相続したものではないことになる。)前記第一審判決の確定後も、通則法二三条の定める更正の請求をしていない。」を加え、五行目及び同裏一行目の「被告」をいずれも「大阪国税局」に、同表一〇行目の「同年」を「昭和六三年」に各改める。
4 原判決一二枚目表九行目の「上野の所有である」を「真実は上野の所有であった」に、同裏四行目末尾の「仮に」から六行目冒頭の「ては」までを「前認定の本件事実関係のもとにおいては」に各改め、八行目末尾の「できない」の次に「(控訴人主張の請求原因3(二)の事実のうち、啓子が丸忠へ本件土地の所有権移転登記手続をした経緯に関する事実、啓子が昭和四三年頃に行方不明となったのは、上野が啓子を責め、暴力を加えたりしたためであるとの事実、同(二)(5)の事実は、これを認めるに足りる証拠はない。)」を加え、一〇行目の「本訴請求」を「本件主位的請求」に、一三枚目表三行目の「請求の趣旨2」を第一(当事者の申立て)の一2の(二)」に、五行目の「、仮に原告主張の右事情が存するとしても」を「(請求原因3(二)の事実のうち前記各事実は認められない。)」に各改め、八行目の「権利の濫用にあたる」の次に「とか、あるいは公序良俗に反する」を加える。
5(控訴人の本件未納相続税の租税債権の実質的・実態的不存在ないし時効消滅、権利失効の原則の適用の主張について)
(一) 控訴人は、本件未納相続税(本税七五万八一一五円とその利子税・延滞税)の租税債権は時効により消滅していると主張する。
しかしながら、前記認定事実に前掲甲第一二号証、成立に争いのない甲第一三号証、乙第六号証、第七号証の一・二、第八ないし第一九号証、第二〇号証の一・二、弁論の全趣旨を総合すれば、さきに訂正して引用した原判決事実摘示第二「三(被控訴人の反論)1」記載の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。これによれば、南税務署長は、本件相続税を徴収するため、本件土地に対して昭和四〇年五月一日付で抵当権の設定を受けたうえ(同年七月二三日設定登記)、昭和四二年一〇月五日付で担保物処分の差押え(同月七日登記)を行っている(右差押えが取り消されたとの事実は本件全証拠によるも認められない。)から、右租税債権については、通則法七二条三項、民法一四七条二号に基づき右差押えにより時効が中断しているというべきであり、控訴人の右主張は採用することができない(仮に本件土地が真実は上野の所有であったとしても、前認定によれば、上野はアサヒビールから本件土地の返還を受けた際、登記簿上その所有名義人を友積とすることを指示したか、少なくとも事後において登記名義が友積名義になっていることを容認しており、友積死亡後その相続人らの承知のもとに啓子の単独相続登記を出現させたものであり、南税務署長は右各登記名義を信頼して啓子に対する滞納処分として本件土地を差し押さえたことが認められるから、民法九四条二項の類推適用により、右差押えが有効であることに変わりはない。)。
控訴人は、希有の事例である本件においては、被控訴人の控訴人に対する本件未納相続税の租税債権は実質的・実体的に存在せず、仮に形式的な理由でかつて存在していたとしても、例えば時効により消滅しており、右の本件土地差押えも控訴人に対しては無効であり、時効中断の効力はないか、除斥期間にかかってその効力は消滅していると主張するが、そのように解すべき根拠はない。
控訴人は、右差押えは、差押調書謄本(乙第六号証)によれば、滞納者として「丸忠株式会社」と記載されており、同社に対する差押えであるから同社に対する時効中断事由にしかならない、右差押調書謄本には差押えが「取消」された旨記載されており、この取消しによって差押えの時効中断の効力は消滅している、あるいは、右差押調書全体に大きな×印がされており、これは全差押えの効力失効ないし放棄を意味しているものと思われ、そのため被控訴人も右調書の日付(昭和四二年一〇月五日付)から二〇年間も差押物件たる本件土地について何の手続もせず放置していたものである、とも主張するが、被控訴人の前記四(当審における控訴人の主張に対する被控訴人の反論)の2(一)(時効の中断)の(3)の主張に徴し、到底採用の限りではない。
また、控訴人は、その主張のような経過により二〇年間も放置していたという事実は、本件未納の相続税七五万八一一五円を控訴人に請求することが権利の濫用等になるとの主張を根拠づける理由の一つにもなるものであるとか、二〇年間も放置していたことは明らかに被控訴人の重大な過大であり、しかも、控訴人には何ら責められるべき点、過失はないのであるから、少なくとも右本税七五万八一一五円に対する利息ないし延滞税について控訴人の固有財産に請求することは、公序良俗に反しかつ権利の濫用である、と主張するが、被控訴人の機関である南税務署長、大阪国税局長、大阪国税局徴収職員は、前認定にかかる「三(被控訴人の反論)1」記載の各事実のとおり本件相続税につき担保のため本件土地に抵当権の設定を受けたうえ、啓子所有の他の不動産等の(参加)差押えや交付要求、公売等の手続を行って充当し、更に、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二一ないし第二七号証及び弁論の全趣旨によれば、前記四2の(二)の事情により本件土地の公売は事実上困難であったものの(ちなみに、成立に争いのない乙第二八号証によれば、本件土地の昭和五八年現在の固定資産税評価額は一億二〇七六万七〇〇〇円と認められる。)、同(三)(2)の第二段記載のとおり、大阪国税局徴収職員は、昭和四四年一月一〇日から昭和六一年一月三一日にかけて、関西製綱及び丸忠並びに丸忠から本件土地を買い受けた関西産業株式会社ほかに対し十数回にわたって第三者納付をしょうようしたこと(但し、いずれも協力を得られなかった。)、また、啓子の死亡前である昭和五八年八月一八日、控訴人と面接し、啓子の滞納国税が残っている旨説明して第三者納付をしょうようし、啓子死亡後の昭和六一年二月八日には、控訴人及び筒井弁護士(控訴人代理人)と面接し、更正の請求期間を経過しているため本件相続税の減額はできないこと、相続放棄又は限定承認の申述を行わない限り啓子の滞納国税を承継することとなることを説明したことが認められる(控訴人は、これら各面接の事実を否認するが、これにそう前掲乙第二一ないし第二三号証があり、これに反する証拠は存しない。)のであって、到底控訴人が二〇年間も放置していたということはできないから、右主張はいずれも前提を欠き採用することができない。
(二) 更に控訴人は、前記差押調書謄本には権利放棄又は失効を意味する大きな×印があり、この権利放棄又は失効のため被控訴人は約二〇年間差押物件たる本件土地に対して全く何の手続もしなかったのであるから、本件はまさに権利失効の原則が適用されるべき事案であると主張する。
しかし、まず、前記差押調書に付された×印が権利放棄又は失効を意味するものでない(延納税額のうち期限未到来分について延納許可が取り消されたことを意味している。)ことは前示のとおりである。そして、前認定にかかる「三(被控訴人の反論)1」の各事実、前記四2(三)(2)の第二段記載の事実(したがって、控訴人は、相続放棄又は限定承認の申述をしない限り啓子の滞納国税を承継しあるいは固有財産をもって納付しなければならなくなることを十分知りながら相続放棄の申述も限定承認の申述もしなかったということになる。)によれば、被控訴人が長期間にわたって権利を行使しなかったとも、控訴人(ないしは啓子)においてその権利はもはや行使されないものと信頼すべき正当の事由を有するに至ったためその後に行使することが信義誠実の原則に反すると認められるような特段の事由があるともいえないから、控訴人の右主張は採用することができない。
二 控訴人は、当審において予備的請求を追加して、被控訴人は被承継人啓子にかかる被相続人友積の未納相続税の本税七五万八一一五円並びにこれに対する利子税及び延滞税の債権につき、控訴人の固有財産に対して支払請求及び強制執行、公売等の手続をしてはならないとの判決を求め、本件未納の相続税等を控訴人から徴収することは、明らかに正義を旨とする法の目的に違反し、税法を超えて存在する公序良俗にも反し、実質的には犯罪と変わらないし、また権利の濫用にも該当すると主張するのであるが、右主張の採用できないことは叙上に説示したところから明らかである(のみならず、右予備的請求は、その趣旨が必ずしも明確ではないが、結局のところ、本件相続税債権について控訴人の固有財産に対して滞納処分をすることの禁止を求める請求に帰するものと解されるところ、滞納処分は行政処分であって、本件においては大阪国税局長のなすべきものであり、被控訴人はその主体たりえないから、この点でも理由がない。)。
三 よって、控訴人の本件主位的請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴人が当審において追加した予備的請求も理由なきものとして棄却することとし、控訴費用の負担につき行訴法七条、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 水野武 裁判官 村岡泰行)
別表
谷崎啓子の納付状況表
一 申告分
<省略>
二 更正分
<省略>
三 納付額合計及び未納額
<省略>
別紙
滞納整理状況一覧表
<省略>
<省略>